「和をもって尊しと為す」世界
- 2021.12.16
- 未分類
- ノジェス, 令和哲学, 和をもって尊しと為す, 心感覚

「和」の無い世界
一人ひとりの価値観や幸せが大切にされるポストモダニズムの流れの中で、スマートフォンの登場により自分の関心ある分野だけを見て、自分以外に関心を持ち辛いと言われる現代。資本主義の後押しにより貧富の格差はどんどん広がり、社会や環境への関心も薄れ、その希薄さからくる地球温暖化により一説によると2050年には人類が住めない地球になると言われています。
いくら個人の幸せを勝ち得たとしても、国の経済や地球の環境が悪くなればその幸せを続けることは困難です。インターネットの普及、グローバリゼーションが当たり前になってきた現代だからこそ、聖徳太子が言われた「和をもって尊しと為す」のように、国家間を超え、地球市民として団結が「和」が必要です。
しかし、人類はなぜ誰もが幸せに過ごせる世界を目指しながらも、今まで「和」を作ることができなかったのでしょうか。
あなたは「和」と言えばどんなイメージが沸きますか?一般的によく使われるのは、みんな違ってみんな良い。違いを認め合う「和」だと思います。
一見それでうまくいくかと思います。
しかし現実はどうでしょうか?
本気で仕事をしたり、将来のことを決めないといけない時に、違う意見を認め合うことはできますか?
認め合うことができず、分かり合えなかった場合、団結することはできず、大きなことや協力してなにかを行うことができなくなります。
これをnTechでは「相対的な和」と言っていますが、相対的な和では大きな課題を解決することは難しいです。
その相対的な和を補うのが、「絶対的な和」です。
違いを認める「和」ではなく、そもそも違いが無い世界。対が無い絶対世界にいく境地が「絶対的な和」です。
違いがないから、ジェラシーすることもないし、争うこともできません。その「絶対的な和」の境地に達した聖人は人類歴史の中でも何名も居ました。
お釈迦様、老子、孔子、ソクラテスなど。
しかしその「絶対的な和」の境地に到達しても、なぜ未だに争いが終わっていないのでしょうか。その聖人の観た世界を伝えることに失敗したのです。それが「絶対的な和」の限界です。
「究極の和」の世界
そして、その「相対的な和」「絶対的な和」の限界を突破するのが、「究極の和」である。0=∞=1の世界。
21世紀の悟り人 令和哲学者 Noh Jesu氏が26年前に発見し、誰もが「絶対的な和」を理解するだけでなく、「絶対的な和」と「相対的な和」の関係性も理解できるように教育体系化してきたのです。
誰もが「究極の和」を理解、実践できるようになることで、戦争0、欝0、自殺0、離婚0の社会を創ることができるのです。
そして、Noh先生はその「究極の和」が広がる場所は、アメリカでもヨーロッパでも中国でもない、日本からだと言われます。なぜ日本なのかお話を聞いた時に、胸の奥から歓喜が沸いてきたことを今でも覚えています。
ぜひ多くの日本の方には、Noh先生の話す日本を聞いて貰いたいです。
そのNoh先生が、新しく新刊を発売されました。
体感覚ではなく「心感覚」。「究極の和」とも繋がる今までにない新しい感覚。
現代を共に生きる多くの方に、この本を読んで頂きたいです。
★「心感覚」特設サイト
https://www.noh-jesu.com/shinkankaku/
最後までお読み頂きありがとうございました。
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